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両親の死と看取りを経験した人間が語るこれからの人生の生き方

group of doctors walking on hospital hallway

人間誰にしも両親の死というのは避けられないと言っても過言ではありませんが人はいつか死ぬんです。

3年前ですが私の両親は共になくなってしまったと言っても過言ではなく、母親ががんでなくなり、父親が肺疾患でした。

突然二人の両親を亡くすというような経験というのは全くしていないというわけでもないですし私自身も人生の中で初めて経験しました。

最初のうちは何で自分だけがこんな不幸にならなければいけないのか本当に分からないという風に悲嘆しておりました。

しかし3年経った今、もう両親のことは忘れるというわけではありませんが自分がここに存在するという意味をやっとわかったような気がします。

両親の死は突然だった

両親の死は突然にやってきたと言っても過言ではなく以前から通院をしていたということは知っていましたが、ここまで病気が進行していたのかという風に思うと自分も介護をしている中で色々と知らなかった部分がありました。

母親を既に助からないという風に言うより大きな病院に入院させて私自身が必要な時だけ面会をして行ったと言っても過言ではありませんが本当に自分の親が癌で亡くなるなんて夢にも思っていませんでした。

どうしてこんな不幸が起こるのか?

私の母親をずっと働き続けてもう70になっても働くという風になったので私自身が止めました。

人生のどん底にいた頃というのは本当に自分自身が何をしたかったのか分かりませんし、親も色々と苦労をしたのではないかという風に思うんです。

両親の死が突然やってきて母親が亡くなった3ヶ月後には父親もなくなるというようなこんな不幸が本当に続いていたということを考えると自分も情けないなという風に思いました。

なぜ自分の家庭ばかりがこのようになるのかという風に恨んだこともありましたが、人はいつか死ぬんです。

自分はいつか死ぬと言ってもいいかもしれませんがそれはいつなのかということに関しては本当に分かりません。

そう考えると自分の親を看取ったというのは最後の親孝行だったのかもしれませんし私自身も本当にこんなにどん底を経験するということはなかったです。

悲しむ気持ちはわかるが大事なことは両親がもういないという現実

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親が亡くなれば誰だって悲しみますしその痛みというのはわからんでもありませんが大事なことは今の現実を受け入れなければならないということなんです。

親が亡くなるということは別にどの家庭でもあると言っても過言ではなくそれはどういう意味を指しているのかは人によって違ってきますが大事なことは今の現実を受け入れるということしかありません。

遺されたものは本当につらいですしその後葬式などをやったり後の段取りが本当に大変だと言ってもいいぐらい私自身もシンプルに言えばこれら1人を全てやってきました。

人生何でこんなに一人でやらなければいけないのかということで周りを恨んだりしたこともありましたが今はそんなことは一切ありません。

今この現実が受けられるか、受け入れられないかということを考えた時にあなたのそばにもう両親はいないんですよという風に言える人がいたとしてもそんなことはないという風に言うでしょう。

今まであなたを支えてくれた両親がいないということはもちろんこれからの生活に色々と支障をきたす部分はあるかもしれませんがそれは知恵で乗り越えていくしかありません。

今両親がいないという現実を受け入れてこれからの人生どう生きていくのかということを考えていきましょう。

世帯主としてすべてを執り行ったときの悲壮感

両親がいないのですから今は私自身が世帯主となって葬式、火葬、初七日、お墓建立、納骨式などを全て執り行くなってきましたがこの時に考えたのはもうお金の心配や、この先どうして生きようということばかりでした。

確かにあなた自身が喪主になって全てを執り行わなければいけないというのはよくわかりました最近では家族葬が非常に進んでいると言ってもいいので日本というのは家族葬が主流だと言えます。

昔のように親戚が集まって普通の葬式ができるというような時代ではなく、今は家族単位で本家と分家があるのであれば本家に連絡するというようなものです。

これは遺産相続になってきた時に後々揉めてくるようなことにならないようにすることかもしれませんが特に私自身は分家だったので何か言ってくるということはありませんでした。

それよりも悲壮感というのがものすごく強くなってきたと言っても過言ではなく最初の1年というのはもう自分自身がただ単に生きている価値がないという風に思い込み死にたいというようなことだけがありました。

こんな経験は後にも先にもやったことがないですしもう本当にどん底に落ちてしまったというようなことがあり働く意欲さえなくなりました。

私自身はもともと体が悪かった人間ですのでそこに追い打ちをかけるようなことがあったと言ってもいいので世帯主として最低限やらなければいけないことをやってきたに過ぎないんです。

ですから本当につらかったというような人生はまだこんなもんじゃないという風に思っているくらいです。

家族の介護と両親をなくしたときの辛さは半端なものではない

woman reading book while sitting on chair

両親のことが一段落して終わった時に今度は自分の兄が入院するというようなことがあったので施設から電話があったと言ってもいいぐらい本当に対応に追われました。

もちろんのことながら身元引受人にならないとどこの施設も入居できないということがあるので私自身は家族の代表として身元引受人をやっている次第です。

それは病院も同じことで入院させるためには家族の同意が必要ということで私自身が全て隣町の病院まで行って色々な説明を受けてやってきました。

家族の不幸が立て続けに起きるというようなことになってくると本当に私自身はどん底に落ちてしまったというような経験を積んだわけです。

もう本当にどこまで不幸にならなければいけないのかという風に思ったこともありましたし色々な意味でも自分は生き続けなければいけないという風に思ったわけです。

だからこそ家族の介護と両親を亡くした辛さというのは経験した人間しかわからないと言ってもいいぐらいですしあなたもいつかこういう経験をすることがあるでしょう。

家族の幸せを考えるのがあるならば私自身はまだ健康なだけマシだという風に感謝できる部分があるんです。

毎日がネガティブ思考になる日に死にたいと思った瞬間

両親を亡くした最初の1年というのは本当に辛くてもう死にたいというようなことがあったりしましたし、警察沙汰になってしまったということもありました。

自分自身が3人も介護するというのは本当に現実的にきつく一つの体で3倍のことをやらなければいけないという風にタスクをこなしていました。

しかしいつしか自分自身の持病も悪化してくるということを考えると本当に死にたいというような行動というのは出てしまうということがあるかもしれません。

日本の自殺者は3万人ぐらいという風に言われている中で今では若者の自殺というのもあるかもしれませんが本当に自殺するというのは1回きりの人生を捨てるということです。

私自身は大したことは言えないかもしれませんが生きていれば何とかなるということを自分の親の死の経験から言いたいぐらいです。

人はいつか死ぬという風に定められているのであれば今やりたいことを一生懸命やってその中で自分が死ぬ際にやっておいて良かったという風に思えることがあるんでしょう。

どんなことがあっても絶対に死んではいけません。

自分の親の看取りをした時本当に自分はもっともっと生きてやるという風に思いつつ今ではお墓参りをちゃんとやっていますが、大切なことはネガティブになるのは誰だってあるが、時間をかけてもいいのでポジティブにシフトするということが最も重要だと思います。

孤独は逆にチャンスになる

silhouette of person running towards seawave during golden hour

孤独は逆にチャンスになるということで今では一人起業というものがあるでしょう。

私もインターネットビジネスに出会ってから色々な人生を経験してきましたが私は20年ぐらい前からインターネットビジネスに出会い孤独になってもう自立しようという風に考えました。

孤独というのは本当に友達もいなく周りからいじめを受けるというようなことがあったのかもしれませんがそれでも私自身は自分の信念を貫き通し生きてきました。

人間は1回きりの人生だと言いましたがその1回きりの人生を他人に振り回される人生にするのかそれとも自分の直感に従っていけるのかといえば私は後者です。

自分の直感を信じて生きていくということができれば必ずあなた自身も成長していくと言ってもいいので自分の人生とは何かということを見つめ直していくということが必要なんです。

孤独でも今は困らない時代になっていると言ってもいいですしネット社会ですのでネットがあればブログを立ち上げてビジネスだってできます。

孤独は逆にチャンスであり寂しがり屋さんというようなイメージがあるかもしれませんが私はそんなことは一切思っていません。

私には大切な家族がいると言ってもいいですし、家族を守っていかなければいけないというような義務もあるでしょう。

それよりも大事なことは自分を大切にするということをしていかないといけないのではないかなという風に思います。

両親の死後3年になる中で芽生えたある希望

両親の死から3年が経過すると言っても過言ではありませんが自分自身はもう本当に3年前のあのどん底というのを経験しているからこそ誰にも振り回されずにのんびり生きようという風に考えました。

自分が芽生えた希望というのはこれからの人生を楽しく生きて誰にも振り回されないような生き方をしていくというものですが人から見れば小さいものかもしれません。

幸せの定義なんて関係ありませんし自分が幸せと思えることに打ち込めていればそれでいいのではないでしょうか。

両親の死というのは間近で見た人間としては辛いかもしれませんしもちろんそういうシーンを見ている医療従事者から見れば確かに家族が亡くなるというのはつらいものです。

しかし今そんなことはもう考えても両親が生き返るわけでもありませんし自分自身ができることはこれからの自分の人生をどのようにして生きていくのかということなんです。

今あなたが同じような家族の介護やそういった医療従事者であるならば別としても家族が間近でなくなるということを見た自分から見ればこれからの人生をどう生きていくのかということを考えなければなりません。

亡き人のことをしのぶというのはとてもいいことですが、私自身もお墓参りをするということをちゃんとやっている人間ですので最近は2ヶ月に1回程度にしていますが義務感でやっていた部分もあります。

お墓参りはいつでも行けるということなのでいつでも行けるというのであるならばそれはそれでいいと思います。

もう悲劇のヒロインを演じない

don't give up. You are not alone, you matter signage on metal fence

あなたが悲劇のヒロインを演じている限りは周りの人達というのも離れていくかもしれませんしいつまでも親が亡くなったからと言ってあなたも立派な大人ですから悲劇のヒロインを演じるのはやめましょう。

都合のいい時だけ来る人間というのはもう人間の断捨離をしていた方がいいです私もそういう人間とは関わり合いを持ちたくはないのは当たり前のことなんです。

人はいつ死ぬかということは分かりませんが1つだけ言えることは自分でできることは自分でやるっていうことが非常に大切だということです。

親の死を通じていろいろなことが変わってきていますし私自身も見えない存在ということについて考えてきたのは両親の死から後のことです。

悲劇のヒロインを演じるよりも自分自身が前向きにどのようにして生きていくのかという風に考えた方がいいですしまた自分の家族が施設にいるということなのでいつまでも健康でありますようにという風に祈るしかできないんです。

こう考えた時に単純に悲劇のヒロインを演じているのであるならばあなたはいつまでたっても誰かに依存している部分があるでしょう。

親が亡くなるということそれはもちろん辛いと思いますし私も本当に色々なことで一人でやってきたことを自慢するつもりはありません。

誰にも頼らずにここまでやってきたそれは本当の理解者にしか話せないと言ってもいい内容ではないかと思います。

だからこそあなた自身も1人にならずに誰か相談相手を見つけておくというのは重要です。

まとめ

両親の死と看取りを経験した人間から言えることは本当に辛いことが最初はあるかもしれませんしお金がどんどん逃げていくというような感覚があるかもしれません。

あなたが親になった時その子供に何が遺せるのか考えたことがありますか?

私自身は結婚はしていませんがただ一つだけ言えることがあります。

仮に自分に子供がいた場合は絶対に苦労させないように親としての最低限の責任を果たしてそして子供には自由に生きてもらうということをやると思います。

昭和の考え方や平成の考え方よりも令和の考え方にのっとって生きていった方が子供は幸せでしょう。

自分の人生は自分で決めて行きなさいという風に私自身も両親に言われた気がすると言ってもいいので今は試行錯誤をしながら自分の人生とは何かということを模索しています。

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