このブログでも何回か書きましたか私自身は親の人そして介護というものを経験していますが本当に人生のどん底を経験したことは自分の宝物だという風に思っています。
どん底を経験するということはそれまで本当に色々な思いや苦しいことや楽しいことなどがありますが自分にとっては苦しいことの方がイメージがあったことでしょう。
特に両親の死というのは本当に辛いと言ってもいいぐらい立ち直れない人たちというのもたくさんいるかもしれませんが私はそういう人たちに言いたいのはこういった経験を糧にして自分の人生に反映していただきたいということなんです。
人生は何度も言いますが1回きりです。
その1回きりの人生はどう使うかはあなた次第ですがこれらの経験というのは必ずどこかで役に立ちますので実体験をお話ししていきたいと思います。
親の死は辛いことだが、自立するうえでは避けられないこと
今の時代は孤独死というような問題があるように本当に高齢者が孤独死をするというのは私自身も自分の親を看取り、絶対に孤独死はさせないという風に思ったわけですが親の仕事辛いものはないです。
これは本当に経験した人間にしかわからないものですが親の死を受け入れることができればあなた自身は自立できるはずなんです。
もちろんすぐに自立ということはできませんし人の死を見るということは本当にこの上ないほど辛いことではないかと思います。
もちろん看護師はそういった場面に立ち会っていると言ってもいいかもしれませんが他人とはいえやはり看護するというのはそういったシーンにも立ち合わなければいけないというようなことがあるんでしょう。
でもあなたが自立する上で一番大切なことは親の死から何を学ぶのかということなんです。
親の死というのはただ漠然となくなったわけではなくこれから時代はどんどん変わっていく中で親は最後の試練をあなたに与えたのかもしれません。
私はそのように考えて今まで生きてきましたがもう周りのせいにしても周りを頼っても結局自分でやらなければいけないというところにたどり着くので自立をするというのが一番早いと思いました。
もちろんお金は本当にたくさん消えていったと言ってもいいかもしれませんがそれでも自分は絶対何とかなるという根拠たる自信が出てきたので私はこうして書いているんです。
今はどん底かもしれませんがそのどん底から学んだ事っていうのはあなたの糧となりそして成功した時には武勇伝になることでしょう。
親の死というのはただあなた自身が考えている以上なことではありませんのでどうとられるかで人生は変わってきます。
自己犠牲の先にある報われないと思ったことに意味があった
2022年というのは本当に忘れられない1年だと言っても過言ではありませんが親の死や自分の家族の介護などもう馬車馬のように働いて一人で色々なことをこなしていました。
自己犠牲をして何が報われたのかという風に考えた時自分には何も報われないというよりも知らん顔をされてしまったというようなことがありました。
もう悔しくて本当に泣きたくてたまらなくなるようなことがありましたがはっきり言えることはもう絶対に自分は成功するそして豊かになるという風に覚悟を決めて発信しているんです。
自分軸で生きていこうもう他人に振り回されるような人生はごめんだという風に思い他人の意見というものもあんまり当てにしないようになりました。
自分は自分、他人は他人という風に割り切って自分の人生をこれから少しずつゆっくりと生きていこうと思いますが本当に振り回されるような人生はまっぴらごめんです。
自己犠牲をどんなにやってもあなた自身が報われないというのであればその生き方は間違っているという風にわかると思います。
アンチに絡まれ時間とお金を奪われてから思った自分軸で生きるという決意
アンチに絡まれ本当に批判や誹謗中傷くらい内容証明で脅迫されてまで何を求めていたのか分かりませんがこういったトラブルに巻き込まれた時誰かが助けてくれるという風に思っていてもみんな助けてくれません。
だったら自分の人生はもう自分で切り開くしかないという風に考えた時に振り回されるような生き方よりも、自分がこういう風に生きているということを証明するしかないです。
このアンチは本当にサイコパスレベルだと言ってもいいので私は極力関わらないようにしていますが別にこの人の言うことを聞いたからと言って従う必要も全くないです。
関わるだけ馬鹿らしいという風に思ったこともありましたし内容証明が来たからと言って拒否すれば良かったというようなこともありましたが何をやっても人のせいにするような人間というのは本当に最低だと思っています。
つまり自分の機嫌次第でどうにでもなるというような考え方を持っている人間がここにいるんだなという風に反面教師にしました。
こういう人間だけにはなってはいけないという風に神様の試練でしょうか私は全てに意味があると思いました。
自分軸で生きていくというような決意というのは本当に覚悟が必要になってきますが他人に振り回される人生なんてごめんです。
ですからあなたも他人に振り回される人生よりも自分をもっともっと豊かにしていく人生にシフトしていきましょう。
すべての出来事には意味がある
あなたが生まれてから今までどれくらい年齢を重ねているのか分かりませんがあなたが今まで経験してきた出来事には必ず意味があるんです。
私は幼少の頃から病気になって本当に通院生活ばかりをしていた人間ですので体が弱いというのは知っていますが本当に自分自身が体が弱いということに気づいて周りの人に助けてもらったということがあるんです。
今度は自分が助ける番だと言っても今のような障害者同士が支え合うというようなおかしな時代に来ていると言ってもいいのでまだ私自身は動けますが介護をしている兄などは正直言うと本当にもう意思疎通がなかなかできない部分があります。
でも大事なことは本当に人生は1日1日の歴史が積み重なっていると言っても過言ではなく私自身は全ての出来事に必ず何かしらの意味があると思っています。
その意味を理解すれば違った意味で軌道修正をするともしかしたら人生が変わっていたのかもしれません。
今あなたがどん底にいたとしても、考え方ひとつで人生というのは右でも左でもなくいい方向に行くということは間違いないんです。
全ての出来事に共通していることは今まであなたが積み重ねてきた過去の反映だと言ってもいいでしょう。
人の気持がわかる人間になったときあなたはもっと変われるはず
人の痛みや気持ちがわかるときあなた自身の人生というのは好転していくと言っても過言ではありませんが、障害者には障害者の気持ちがあるように普通の人間として扱われないということ自体に悔しいですね。
私自身も障害者としても40年近く生きている中で本当にいじめにあったり周りの大人がとんちんかんで理解できないような人たちばかりでたまったもんじゃなかったです。
それで就職しろなんて言われてももう人間関係そのものが不審になってしまい私自身は今のようなネットビジネスに出会えてよかったのは時代とともに働き方というのが変わってくるんです。
人の気持ちが分からない人間というのはいつまでたってもマウントばっかりしているような卑怯な人間でしょう。
そんな人間に人の気持ちがわかるんでしょうか。
私は親の死を通じて本当に孤独になってもう四面楚歌のような状態になっていた時がありましたが今は少しずつ少しずつ自分を変えていこうということで行動しているんです。
別に理解されなくても嫌われてもそれはその人の人生だからそれ以上干渉することはないでしょう。
今がどん底でも人生は豊かになるということを言い続けよう
親の死から3年が経過して、本当に色々なことがあったと言っても過言ではありませんが自分自身も情けないというぐらいいろいろなことを経験してきました。
確かに今はどん底のような状態が続いているかもしれませんが希望を持って行動していけば結果というのは変わってくるんです。
色々な人との出会いそして別れというのは自然にあると言ってもいいかもしれませんが自分の親との別れというのはこれからの人生を豊かにしていく上での通過点に過ぎないんです。
もちろんこんなことを言うのもなんですが、人は自分で自立していかなければ生きていけないのは当然のことでありその生き方というのは人それぞれです。
だからこそあなた自身も今どん底だという風に思っても絶対に夢を叶えるという夢があるのであればその夢に邁進していくということが大事です。
どんな人間も遠回りしようが近道しようが夢を叶えるということはできるんです。
できないと言っている人間の方がアホでしょう。
そんなアホ類の意見をいくら聞いたところであなたの人生が良くなるということはないので自分を信じて少しずつ少しずつ前に進んでいきましょう。
まとめ
親の死をつうじていろいろなことを学んできた私自身ですが一つだけはっきり言えることは自分の存在が両親のおかげだということはもう言うまでもありません。
感謝に値すると言ってもいいぐらい私自身も本当に両親が亡くなりも3年が経過する中で本当に3年が過ぎ去ったんだなという思いがあるんです。
まだ煮えきれないところはたくさんあるかもしれませんが私は個人的に色々な思いを胸にしているということでしょう。
だからこそどん底を経験して本当に痛い目を見てきた中でもあなた自身は鋼のように強くなっているはずです。
経験は人を変えるというのはまさに言うまではないでしょうね。

著述家、ブロガー。通称おっさんブロガー。何度もどん底を経験し親の死後
人生観が変わる。コンセプトは「挑戦の向こうに未来がある」ということを
掲げ、日々執筆中。