このブログでいくつか紹介してきますが私は両親の死というのを経験して本当にこの上ない辛さを感じてきたと言っても過言ではありませんが、3年前の2022年というのはもうとにかく1人で全てをこなしていたと言ってもいいと思います。
その経験から1つだけ言えることは両親の死というのは誰もが避けられないということでありその時にどのように対応するかで人生は変わってきます。
介護もしながら両親の死というのはダブルショックと言ってもいいぐらい本当につらかったですが私自身はとにかく前を向くしかなかったということで人生を歩んできました。
この私でさえ自殺を考えたことが何度もあって本当に警察沙汰になったと言ってもいいぐらいですがその時にどうやって乗り越えたのかということをシェアしていきます。
両親の死ほど辛いものはなかった
両親の死というのは本当に辛いと言っても過言ではなくこんな辛さを誰が経験するのかという風に思うぐらい両親を看取りました。
両親の看取りは誰もが止まらなければいけませんし本当に安らかに亡くなっていく姿を見た時私は非常に泣きました。
こんなものか人生はというふうに思う時もありましたし両親との思い出というのは本当に自分の中で忘れてはいけないというふうに思い今でも自分自身が何をするべきかという風に迷う時は迷わずお墓参りに行きます。
この当時は本当に何も知らなかったと言ってもいいぐらい私も色々とやらなければいけないことがあったり自分自身が何者かという風に考えたこともあったんです。
両親の死は本当につらかったというよりもそれ以上に何を意味しているのかという風に考えた時に私は3年経った今亡き両親から自立しなさいという風に言われたような気がしてたまりません。
全てが点と線でつながっていると言ってもいいぐらい私も色々と挫折を経験してきましたがそれでもこうやって生きていることが感謝に値するんですね。
生きているだけでもまだましなのに何を自分自身は不幸になっていたのだろうというふうに思うと情けなかったです。
両親の死は確かにつらいですが、それを乗り越えるためには色々なことをやらないといけないのは言うまでもありません。
2022年は本当にすべてを一人でやってきたものだった
家族をなくすというのは本当に辛い経験だと言ってもいいですが2022年というのは本当にそれだけではなく介護している兄も入院をするというような状態で、両親の葬式、火葬、四十九日、お墓の建立、納骨式など私自身が全て執り行ってきました。
全てを一人でやるというのは本当に大変でしたしこの経験というのはいまだに忘れられないと言ってもいいです。
ただ3年経過して今思うことは一人で誰にも頼らずに色々と決断をしていかなければいけなかったのかもしれませんが本当にあの時は両親からの自立を促されたと言ってもいいかもしれません。
人生は1回きりだからこそ死ぬまでに自分が挑戦したいこともあったし両親の問題が落ち着いてからは本当に色々とやらなければいけなかったことはありますが今でさえ2022年のことはもう忘れられないです。
こんなに馬車馬のように働いて自己犠牲をしてきたことももちろんのことながら今ではいい思い出になりましたが当時はそうしなければいけない状態でした。
こんなどん底に落ちるまでなぜ自分自身がやらなければいけないのかという風に思うと情けないと言ってもいいかもしれませんがとにかく全てをやらなければいけないということには変わりはありません。
家族を失うという経験は一生忘れることはない
家族を失うというような経験をしたあなたにとっても私にとっても本当に両親がそばにいるかいないかでどれだけ辛い経験をしたのかお分かりでしょう。
あなたが両親になっていつか子供が生まれそしてその子供が成人になったときはどう考えても両親が先に亡くなるというのは普通ではないでしょうか。
もちろん親不孝というように言われるように子供が先になくなるというようなケースはほとんどないかもしれませんが人生はどこでどういう風に何が起こるのかは分かりません。
ただ我々は本当に家族を失うという経験をしてそこから何を学んでこれからの人生にどう生かしていくのかということを考えた時に自分が死ぬわけには行かないという風に感じたんです。
今多くの日本人が経済を苦に自殺しているという話が聞きますがこれが若者でも同じことが言えるんです。
物価高や増税で本当にお金が払えないというような状態になると経済は循環しないです。
家族を失うということをやってももちろんお金もいりますし今では色々な人に世話になったなという風に思うと感謝感激でたまらないです。
自分がこのように思うようになったのは最近であり色々と本当にただ憎しみの心しかなかった自分にとっては少しずつ変化が出てきたのかもしれません。
親の供養は欠かさずにやっていますが本当に毎日朝と晩手を合わせるということをやっているので親が遺していったものはこうしてデジタル化の進んだ現代だからこそ私自身も忘れずにいるということなんですね。
両親の死から自殺を何度も考えたことがあった
両親の死というのは簡単に乗り越えられないと言っても過言ではなく遺族ケアという風に言われるものがありましたが私は個人的に受けていません。
遺族ケアは受けた方がいいかもしれませんが個人的にはお墓参りをすることによってなんとかなったと言ってもいいくらいです。
ただそれでも嫌なことが起きてしまうと本当に親のこと思い出してしまいなかなか乗り越えられないというようなことがありましたがその時はものに走ったりするということもありました。
必然的に仕方がありませんしその時はもう自分を責めるのはやめようという風に思ったんです。
親も死にたくて死んだわけではないですしもちろん未来に託したと言ってもいいぐらい私たち兄弟もみんなこうして生きていますから兄も障害者です私も障害者です。
だからこそ自分が死んだら取り残されてしまうものは誰だという風に考えたら不自由な兄のためにも自分ができることを考え一生懸命やっていこうと決めたんです。
私には祈ることしかできませんがそのためにも同じような境遇で生きている人たちとつながりそしてそういった人たちと社会を考えていくということも同時にやっています。
それで生きよう、なんとかなると思い自分に誓った日
何度も何度も自殺を考えたことがありましてかまってちゃんのように本当にどうしようもない人間だと言ってもいいぐらいです。
でもそんなことをやったところで誰かが助けてくれるわけでもないですし親の死というのは確かに辛いかもしれませんが誰もがたどるということなので私自身は本当に自分が全てをやってきたという風に開き直った態度をとっていたのかもしれません。
奢り高ぶったような考え方というのを捨ててもちろん両親は亡くなったことは辛いかもしれませんがこれから人生にどうプラスに変換していくのかただそれだけを考えていました。
両親の介護に明け暮れた毎日というのは忘れられないですし本当に大変でお金もそれなりにかかります。
私自身も障害者という立場で何とか手足が動けることに感謝をしながらこうしてブログを書いたりするということもできるんです。
精神障害と言ってももちろん障害には変わりはありませんが軽い方だと言ってもいいです。
その私自身が何で自殺を考えたのかというと思うこの先お先真っ暗だなという風に思ったからではないかと思います。
でも自分自身が自殺したら誰がお骨拾いをするのかという風に考えた時に本当に自分はまだまだ生きるべきであるという風にたどり着いたんですね。
本当に生きようという風に決まったら絶対に人生というのは好転してくるんです。
そのことを私自身は知っていたからこそなんとかここまで来れたと言ってもいいぐらいです。
お墓参りで自分を見つめ直すということをしてきた
お墓参りをすることによって自分を見直してきたということもありますし、お墓参りというのはもちろん両親の供養をするという意味でも私自身は建立者としての責任を果たしています。
建立者というのは本当に色々とやらなければいけませんし菩提寺との付き合いもあると言ってもいいかもしれません。
でもどんな状況にあったとしても今幸せだという風に思う方がまだマシです。
なぜならば身近にある幸せに全然気づけずに本当に両親の死はつらかったという風にただ単に言い訳をしているのかもしれません。
私自身はそれでいいとは思いませんしもちろん両親との思い出というのは忘れたくないと言ってもいいのでこのブログに書いていますが、両親は本当に働き者でした。
もちろん喧嘩をしても結局のところ浄土真宗で言えば倶会一処言うという言葉のようにまたあの世で再会するということでしょうか、私自身は全てが繋がっているという風に思いました。
お墓参りをすることによって自分を見つめ直すということをやっていますし最近はちょっとお墓参りは回数を減らしていますかそれでもちゃんと草むしりをしたりするわけです。
ですのでお墓参りをするというのは自分を見つめ直すという意味でも必要不可欠だと言ってもいいですね。
生きていればなんとかなる。もう苦しむな
人間は生きていれば何とかなるという動物であり今あなたがどん底にいたとしても必ず神様というのはあなたを見放さないと言ってもいいです。
私も本当に親を亡くし最初の1年から2年というのはショックでもう立ち直れないと言っても良かったのかもしれませんがそれでも希望を満ちて絶対に生きてやるという風に思いました。
今日という一日を大切にしてその積み重ねがの先に未来があると言ってもいいぐらい明るい未来を信じて生きようという風に決めたんです。
確かに自殺すればニュースになるかもしれませんが誰も知らない人間なんかに興味がないということなので誰にも看取られずに死ぬというのは最悪です。
それだったらまだ両親を看取り自分自身はまだ幸せだったなという風に感じればどうでしょうか?
生きる希望があるならば絶対に這い上がれるということは言うまでもなくあるんですね。
ですのであなた自身が今苦しんでいるというであるならば、もう苦しまなくていいよという風に私は言います。
まとめ
両親の死は本当につらかったと言ってもいいですしそして私自身も何度も自殺を考えそして警察沙汰にまでなったということは本当につらかったです。
人を巻き込んでまで何がしたいのかということで本当に分かりませんでしたが1つだけ言えることは自殺をしたところで誰もあなたのことなんて興味がないということです。
今の日本を見ていると本当に自殺者が増えているということは言うまでもありませんし若者の自殺というのは悲しい出来事です。
死ぬというのは本当に両親からしたら辛いですし、遺されたものはさらに辛いでしょう。
その辛さを乗り越えてこそあなた自身の人生や未来というのが決まってくるんじゃないかなという風に私は思います。
今この瞬間を大切にして生きていきましょう。

著述家、ブロガー。通称おっさんブロガー。何度もどん底を経験し親の死後
人生観が変わる。コンセプトは「挑戦の向こうに未来がある」ということを
掲げ、日々執筆中。